台風による豪雨や暴風は、人命を脅かすのみならず社会や経済にも甚大な被害をあたえます。このような脅威に備えるためには、台風の理論的な予測が重要となります。近年では気象観測が進歩しており、計算機による気象シミュレーションも高精度化したことから、台風の「進路」については高い精度で予測できるようになってきました。一方で、台風の「強度」予測については 1990 年代から誤差が改善していないという現状がありました。そこで気象学・気候力学研究室の藤原さんらは、これまでほとんど考慮されてこなかった「台風から遠く離れた海域にある水蒸気の輸送帯 (MCB)」に着目することで、台風を維持・発達させる新たな巨視的メカニズムを明らかにしました。洗練された気象モデルによるシミュレーションをおこない、海面水温の改変実験や台風の除去実験を加えることで、台風と MCB 間のフィードバックが台風事例や気象モデルによらない普遍的な現象であることを証明しました。研究成果は Journal of Geophysical Research: Atmospheres に掲載されました。
台風[1]は、夏や秋の風物詩である同時に、私たちの生活をおびやかす自然現象でもあります。たとえば平成 27 年 9 月に発生した台風 18 号は、関東・東北地方の広範囲に大雨を降らせ、土砂崩れや川の決壊といった甚大な被害をもたらしました (図1)。このような台風の脅威に備えるためには、台風の進路や強度などを理論的に予測することが大切です。
台風の予測をおこなうためには、まず気象の観測データを得る必要があります。近年では観測技術[2]が著しく進歩しており、さらに世界各国の気象予報機関が連携するようになったことで、地球全域から膨大な気象データが得られています。こうして得られた観測データをインプットとして計算機による気象シミュレーションをおこなって、台風がどのように変遷するかを理論的に予測します。昨今の理論・観測の発展にともない、台風の「進路」についてはかなりの精度で予測できるようになってきました。一方で、台風の「強度」予測については 1990 年代から誤差がほとんど改善されていないという現状があります。気象モデルが改良されたり、数値シミュレーションがより精密になったりと理論が進歩しているにも関わらず、誤差の要因は依然としてよく分かっていません。なにか根本的なところに見落としがあるのでしょうか ?
台風のエネルギー源は、海面から発生した水蒸気[3]です。これまでの「台風の常識」では、台風の直下で蒸発する水蒸気が台風を維持し、発達させると考えられていました。ところが最近の研究において、台風の直下というよりはむしろ遠く離れた海域にある水蒸気が台風へと流れ込む事例が発見されました。その一例が平成 19 年 7 月に発生した台風 4 号 (Man-yi) です (図2)。Man-yi がフィリピン海に近づくと、インド洋から南シナ海にわたる水蒸気の流れが Man-yi へと伸長して水蒸気の輸送帯 (水蒸気コンベアベルト: MCB) を形成していました。MCB を介して多量の水蒸気が供給されることで Man-yi の勢力が強まり、強化された Man-yi によって MCB の水蒸気輸送も活発化されていました。このようなフィードバックが繰り返されることで、Man-yi は 7 月に日本に上陸した台風としては過去最強クラスにまで発達しました。以上のように、台風 (tropical cyclone: TC) とMCBがお互いに強化し合うという仮説を「TC-MCB フィードバック仮説」と呼びます。もし TC-MCB フィードバック仮説が正しければ、これまでの研究で前提としてきたミクロな視点だけでは不十分であり、台風の周りにある大規模な大気の流れというマクロな (巨視的な) 要素もまた重要となります。
ただし、TC-MCB フィードバック仮説はあくまで仮説に過ぎません。先行研究では TC-MCB フィードバック仮説の一例が示されただけであり、この説が他の台風にも当てはまるかは不明です。そもそも TC-MCB フィードバックのメカニズムはよく分かっていません。水蒸気が台風の内部コア領域 (降水の活発な領域) に至るまでの輸送プロセスは解明されておらず、「台風直下から供給される水蒸気にくらべて、遠方からくる水蒸気がはたして台風の発達・維持に寄与するのか」といった定量的な問いにも答えられていません。このような現状を打破すべく、藤原さんらは大規模な気象シミュレーションをおこなうことでTC-MCB フィードバック仮説を検証しました。気象シミュレーション上でMCB を強化・弱化させたり、台風を除去したりすることで、TC と MCB 間にある本質的な関係を浮き彫りにしました。
まずは数値シミュレーションによって台風 Man-yi を解析し、MCB がどのような役割を果たしているか調べました。
雲解像領域気象モデル (CReSS) という数理モデルを使ってシミュレーションをおこないました。雲解像モデルとは、その名の通り雲粒レベルで気象現象を記述するモデルです。たとえば水蒸気が凝結して雲粒となり、雲粒が集まって雨粒になるなどの現実で生じている雲降水プロセスを忠実に再現[4]できます。実際、この気象モデルを使ったシミュレーションによって、Man-yi の進路や強度については観測の結果をよく説明することができています (詳しくはこちら)。
CReSS による数値シミュレーションの結果を 図3 に示します。図の上段は水蒸気の流れとその流れの強さの分布図であり、矢印は各地点にある水蒸気の進む向きを表しています。7 月 10 日時点を見ると、インド洋から南シナ海にわたって水蒸気の流れが現れています。これはモンスーン西風にともなう流れだと考えられます。台風が接近するとモンスーン西風が強められるため、水蒸気の流れは台風方向へと伸びていき、台風本体と接続することで MCB を形成します (7 月 11 日時点)。その後は台風に付き従って MCB が伸長し、水蒸気を台風へと送り込んでいます。このように、MCB は水蒸気を持続的に送りこむベルトコンベアとしての役割を担っています。
MCB による水蒸気の供給は、なぜこれほどに長続きするのでしょうか ? この疑問への答えは 図3 の下段にあります。図3 の下段は、海面における蒸発の活発さを示しています。赤色が濃い部分ほど頻ぱんに蒸発が起こっています。MCB が形成された 11 日時点に着目すると、MCB 真下の海面において蒸発が活発化しています。一方、水平方向に吹く風の向き (矢印の向き) を見てみると、東向きの風があることが分かります。この風によって蒸発した空気が東へと持ち去られると海面に接するスペースが開くため、蒸発が継続的におこり、次々と水蒸気が輸送されると理解できます[5]。
MCB から台風へと水蒸気が流れ込むことは分かりましたが、それが台風の維持・発達に影響するかどうかは別問題です。次のステップとしては、「MCB からやってきた水蒸気が、台風の内部コア領域に運ばれて実際に潜熱を解放しているか?」という問いに答えなければなりません。そこで後方流跡線解析という時間を逆戻しにする解析によって、台風の内部コア領域にある水蒸気がどこからやってきたのかを特定しました。図4 に示すように、台風の内部コア領域 (E 地点) にあった空気塊は、「台風近傍からやってくるもの」と「インド洋や南シナ海といった遠方の海域から運ばれたもの」に分けられました。
遠方からやってきた空気塊は、MCB に沿って輸送されたように思えます。このことを確かめるために A 地点から D 地点を通るような空気塊に着目します。この空気塊が各地点において示す「水蒸気量、温位 (温度の指標の一つ)、高度、空気塊直下の海面蒸発の活発さ」を 図5 に描いています。
A 地点から D 地点までは、空気塊の高度 (図 5 の黒線) が約 1km と一定となっています。これは空気塊が、水平方向に吹くモンスーンの西風によって東に運ばれていることを示唆しています。空気塊の水蒸気量 (図 5 の青線) については D 地点へ至るまでに徐々に増えていますが、この増加は MCB 直下で起こる海面蒸発によって、空気塊が湿潤になっていく過程と整合しています。そして E 地点の少し手前では、空気塊の高度が急激に上がって水蒸気量が減少する、つまり水蒸気の凝結が起こっています。このとき、温位 (図 5 の赤線) が上昇しています。この一連のプロセスは、MCB によって輸送される湿潤な空気塊が台風の壁雲に到達し、上昇気流によって上空に持ち上げられることで、水蒸気の凝結に伴う潜熱解放を介して、台風の発達に影響を与えると解釈できます。したがって、MCB による水蒸気の輸送は台風の維持・発達に本質的であるといえます。
Man-yi を分析してみると、台風の維持・発達と MCB の形成に関係があると分かりました。これは他の台風にも見られる普遍的な現象でしょうか ? また台風と MCB にはどれほど強い相関があるのでしょうか ? これらの疑問について以降で検証していきます。
海面水温 (SST) の改変実験をおこないました。SST 改変実験とは、ある海域の SST を人為的に変えることで、それにともなった大気の変化などを調べる手法です。先行研究によると、インド洋と南シナ海の SST を改変すれば MCB を強化・弱化できると分かっているので、本研究でもそれにならって SST の改変[6]をおこなっています。ここで、SST を昇温させたときのシミュレーションを「warm run (WR)」と呼び、降温させたシミュレーションを「cool run (CR)」と呼びます。図6 の上段に SST の分布図を載せています。色が赤いほど高温となっています。図から分るように SST を変えているのはインド洋と南シナ海のみであり、台風の通り道であるフィリピン海などの SST は変えていません。したがって、SST 改変実験では台風本体には直接的な影響を与えずに MCB の強弱からくる影響のみを調べることができます。
図6 の下段は、後方流跡線解析の結果と水蒸気の流れ (矢印) を表しています。水蒸気の流れに注目すると、WR3 では MCB が弱化されており、CR3 では MCB が強化されていることが見て取れます。とくに WR3 ではインド洋上で水蒸気がトラップされることで、MCB が南シナ海で断裂し、インド洋・南シナ海から台風内部コア領域へ輸送される湿潤空気塊 (水蒸気) が減少しています。このように、MCB を強化 (弱化) すると、インド洋・南シナ海から台風内部コア領域への水蒸気輸送が促進 (抑制) され、それは湿潤空気塊の輸送量の多寡として可視化されることが分かりました。このとき、CR3 の台風は現実よりも強く、WR3 の台風は現実よりも弱まっています。
次に MCB の強化・弱化が台風本体に与える影響を調べました。図7 は、台風を地面に対して垂直にスライスしたときの内部構造を表しています。WR3 と CR3 の結果を比べてみると、WR3 に比べてインド洋・南シナ海から水蒸気が多量に供給されている CR3 では、壁雲での潜熱加熱がより強化されています。凝結加熱が活発であると上昇気流が強まるため、台風中心へ吹き込む流れ (インフロー) も強まると予想されますが、たしかに CR3 では壁雲に向かってインフローが強く吹いているのに対して、WR3 では相対的に弱い風しか吹いていません。つまり、CR3 では、MCB を経由して台風近くに輸送された水蒸気をより多く台風内部コア領域まで運び込めることになります。したがって、MCB の強化と弱化は、大規模な水蒸気の輸送というマクロな現象のみならず、台風内部コア領域における凝結加熱やインフローの強化・弱化というミクロな現象にも影響すると結論付けられます。
最後に台風の存在が MCB に与える影響を調べました。数値シミュレーションにおいて初期条件の一部を台風が存在しない初期値に書き換えて、「もし台風がなかったら」という世界を作り、シミュレーションをおこないます。これを台風除去実験 (NTC run) と呼ぶことにします。NTC run の設定は、台風の初期条件を除き現実のシミュレーション (CNTL) とまったく同じです。モンスーンについての初期値は、現実的な場合と台風を除去した場合とで同じなので、2 つの数値シミュレーション で MCB に違いに見られれば、その原因は台風の有無にあると判断できます。実際に比較をおこなったところ、図8 のような結果が得られました。
CNTL ではモンスーン西風が強化されて MCB が形成されているのに対して、NTC run では変化がみられず、MCB も形成されていませんでした。したがって、台風は MCB から影響を受けるだけでなく、台風の有無もまた MCB の形成に影響していました。
以上の記事で紹介してきた一連の解析を他の台風にも適用したところ、まったく同じ結論を得ることができました。したがって、本研究で示された台風と MCB の関係は、台風の事例や数値シミュレーションの詳細によらない普遍的なものであるといえます。このようにして TC-MCB フィードバックがもはや仮説ではなく確固たる現象であることが、本研究で初めて証明されました。
本研究で明らかにした「TC-MCB フィードバック」の全容は次のとおりです (図9)。
以上のような ① から ④ の一連のプロセスが何度も繰り返されることで、台風の勢力は維持され、ときには急速に発達すると結論付けられます。
今後の課題としては、モンスーンの強弱の変化を考慮することが挙げられます。南シナ海の西風は、南アジアの夏季モンスーンの影響を強く受けます。そのモンスーンは年によって強まったり弱まったりするため、モンスーンの変動もMCB の形成にとって無視できない要素であると考えられます。もう一つの課題は、「秋」の台風について TC-MCB フィードバック現象を調べることです。台風の発生場所や進路は夏の台風とほとんど同じですが、マクロな気象条件は夏の場合とまったく異なります。したがって、夏の台風と秋の台風を比較することで、遠隔地からの水蒸気輸送というマクロな影響を浮き彫りにすることができると期待されます。
この研究の一連の成果を学会などで発表すると、「本当にそんなことが台風の発達に重要なのか?」という批判的な意見を受けることが多々ありました。その懐疑的なコメントに対して、どのような解析手法を用いて、どういう結果(図やグラフ)などを示せば良いのかを考えることは大変でしたが、九州大学教授の川村先生と助教の川野先生から様々なアドバイスを頂いたおかげで、国際学術誌に研究成果を掲載することが出来ました。また、学会で批判を受ける度に落ち込むこともありましたが、議論している時間は非常に楽しい時間でもありました。
今後も常識を翻すような研究成果を発信できるよう頑張ります。
Note:
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