西アジアのメソポタミア地域では、約 4,600 年前に史上初の帝国と呼ばれる「アッカド帝国」が誕生しました。この帝国は 400 年ものあいだ繁栄を続けましたが、突然に滅亡してしまいます。これまでの考古調査や古気候の復元記録によると、帝国の崩壊には「急激な乾燥化」が影響したことが分かってきました。しかし、乾燥化の気候メカニズムはよく分かっておらず、メソポタミア地域の社会が受けた影響も不明でした。
そこで私たちは造礁性サンゴの化石に着目しました。アラビア半島のオマーンにて化石の発掘調査をおこない、アッカド帝国の滅亡前後に相当する「4,500 年前 〜 2,900 年前の試料」を良い保存状態で発見しました。サンゴ化石の地球化学分析をおこない、当時の海水温や塩分変動を復元したところ、約 4,100 年前の冬は他の時代とくらべて極めて乾燥・寒冷であったことを解明しました。乾燥・寒冷な気候によりアッカド帝国の農業社会は不振となり、帝国が滅亡したことが示唆されました。研究成果は Geology に掲載されました。
西アジアのチグリス・ユーフラテス川流域で発達したメソポタミア文明[1]において、約 4,600 年前に「史上初の帝国」と呼ばれるアッカド帝国が誕生しました。アッカド帝国の支配領域は驚くほど広く、現在のイラクやシリア・イランの一部およびトルコ中部までの地域が統治されていました (図1)。
アッカド帝国は、チグリス川とユーフラテス川という 2 つの大河に挟まれ、冬によく雨が降ることから水資源が豊富にありました。そのため首都テル・レイランでは冬の降雨を利用した天水・灌漑農業[2]が発展して、人々の生活を支えていました。そんな安寧がいつまでも続くかに思われたアッカド帝国ですが、建国から約 400 年後に突然滅亡してしまいます。
なにが滅亡の引き金となったのでしょうか? これまでの考古学的調査[3]や古気候復元[4]の結果から、帝国の滅亡には「急激な乾燥化」が関わっていると分かってきました。しかし、乾燥化を引き起こした気候メカニズムはよく分かっておらず、乾燥化がメソポタミア地域の社会にあたえる影響も解明されていませんでした。
気候は月ごとに変化します。そのため乾燥化の謎を解くには、数千年前の気候変動を月以上の細かな時間解像度で追わなければなりません。そこで私たちは、化石になった造礁性サンゴの骨格に注目しました (図2)。
造礁性サンゴとは、その名の通りサンゴ礁を造るサンゴの総称[5]です。造礁性サンゴの化石には、海水温や塩分など過去の海洋環境が週〜月単位で刻まれています (図2)。したがって化石サンゴの骨格を調べれば、季節ごとの古気候を復元できます。このようにして「化石から復元した気候変動」と「現在も生きている造礁性サンゴから復元した現在の気候変動」を比べることで帝国が崩壊した時代の気候を復元し、当時の気候が社会にあたえる影響を検討しました。
低緯度域に広く分布する造礁性サンゴには樹木のように年輪が刻まれ、その生息期間中の海洋環境を炭酸カルシウムの骨格に記録しています (図3)。
私たちはその骨格を化学分析することによって、過去の水温、塩分、日射量、栄養塩といった海洋環境の移り変わりを週 〜 月単位で明らかにできます。もしアッカド帝国の滅亡前後に生息していたサンゴ礁の化石が見つかれば、当時のメソポタミア地域における気候が復元できると期待されます。
そこで、アラビア半島オマーンの沿岸にて化石サンゴの発掘をおこないました (図4)。保存状態の良い化石を発見でき、この化石からオマーン北東の水温および塩分の記録を読み出すことに成功しました。
私たちは合計 2 ヶ月におよぶ野外調査をおこないました。アラビア半島のオマーン北東部の沿岸で造礁性サンゴの化石群を発見し、大きくて保存状態のよい化石を選んで持ち帰りました (図5)。
放射性炭素年代測定[6]により化石サンゴの年代を調べたところ、アッカド帝国滅亡の前後にあたる 4,500 〜 2,900 年前に生息したサンゴであることがわかりました。これらのサンゴ化石に対して、2 週間に相当する幅に年輪を区切っていき、地球化学分析[7]をおこないました。海水温と塩分を知るための指標として、酸素安定同位体比 (δ18Ocoral) とストロンチウム/カルシウム比(Sr/Ca 比)を分析しました。δ18Ocoral は水温と塩分 (大気の湿潤さ) の二つの影響で変化し、Sr/Ca 比は水温のみに依存して変化します[8]。この二つの指標を用いると過去の水温を ±0.5℃、塩分が 0.1 の精度で復元できます (図6)。
こうして分かった海水温と塩分の変動をもとにして、アッカド帝国が崩壊した時代とその前後における気候の変動を復元しました。
図6 でも述べたように、約 4,100 年前には何か大きな気候変動があったように思えます。しかも、この年代はアッカド帝国の滅亡時期に合致しています。そこで冬季に限ってδ18Ocoral と Sr/Ca 比の平均値を描いてみると、図7 が得られました。
δ18Ocoral と Sr/Ca 比を年代ごとに調べてみると、約 4,100 年前には他の時代とくらべてオマーン北東部が冬に寒冷であることがわかりました。この冬の異常気象は 2 〜 3 ヶ月間ほど継続していました。他の年代 (約 4,500 年前と約 3,600 年前以降) では冬の異常気象が確認されず、現在に似た気候であったと考えられます。
次に δ18Ocoral と Sr/Ca 比を組み合わせて海水の酸素同位体比 (δ18Osw) を算出し、大気の湿潤さを復元してみました (図7, 青線)。すると異常な寒冷化が起こったのと同じ時期に、オマーン北東部が湿潤になっていました。この雨はどこから流れ込んできたのでしょうか? アッカド帝国の滅亡原因と考えられる「メソポタミア地域の乾燥化」とはどのような因果関係にあるのでしょうか?
現在の気候をみることで、「オマーン北東部の気候」と「メソポタミア地域の気候」との関係を明らかにしました。現生する造礁性サンゴ骨格を調べ、冬の海水温・塩分変動 (過去 26 年間分) を復元したところ 図8 のような関係性が見えてきました。
西アジアの地域風シャマール[9]が冬に頻発するほど、オマーン北東部は冬に寒冷で低塩分化することがわかりました。シャマールは、メソポタミア地域を含む西アジア地域の乾燥を深刻化させ、砂嵐を引き起こします。
このことを念頭に置くと、異常な寒冷化・低塩分化が起こった約 4,100 年前には、シャマールの頻度が冬に増大していたと考えられます。冬のシャマールの頻発によってメソポタミア地域が乾燥化し、砂嵐が吹き荒れると、冬の雨季に農業を営むアッカド帝国の社会・農業システムは深刻な影響を受けてしまいます。たとえば農業が困難になって飢饉が発生したり、砂嵐の多発で健康に被害が出たりするなど考えられます。結果としてアッカド帝国では死亡率が増え、助けを求めて流れ込む移民を支えられずに崩壊へとつながったのかもしれません。約 4,100 年前の冬の異常気象は約 3,600 年前には収束しています。その後に安定した気候となったメソポタミア地域では、再び文明が繁栄しました。
本研究では、週〜月単位の高い時間解像度をもつサンゴの古気候記録を基に、気候変動が古代文明とその社会に与える影響を解明することに成功しました。気候の季節変化は私たち人間の生活に直接影響を与えます。サンゴ記録と考古学との学際的な研究は、気候変動が過去・現在の社会にどのように寄与するかを解明する一歩になると期待されます。今後も様々な年代や地域において気候と人の関わりを明らかにしていきたいと考えています。
オマーンでは、1 ヶ月間、キャンプをしながら化石を求めて調査しました。毎日夕方になるとテントを張る場所を探し、薪を集めて火を起こしてご飯を作ります。おおよそ 3 日に一度、wadi と呼ばれる川を探して、見つけるとシャンプーと生活用の水汲みができます。ロバやラクダに囲まれたり、砂嵐の中一晩を過ごしたりもしました。ダイナミックな自然の中で、美しい化石サンゴ礁を見つけた時には飛び上がるほどの喜びを感じました。
Note:
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