自然現象を記述する様々な理論を統一し、たった一つの数式で宇宙を表現することは理論物理学の大きな夢です。この世界の全てを描く数式を知ることができれば、きっと宇宙の真理が分かるでしょう。しかし、その数式を見つけ出すには、いくつかの関門を乗り越えなければなりません。その一つが、原子や電子などのミクロな世界を支配する量子力学と、時空と重力を司る一般相対性理論の矛盾のない統合です。この困難に挑戦するため、宇宙物理理論研究室 (山本 一博 教授、菅野 優美 准教授、松村 央 助教、倉持 結 助教) では、重力と量子をキーワードとした外堀を埋める研究が進められています。今回は、宇宙物理理論研究室に所属する物理学専攻の上田 和茂さんと杉山 祐紀さんに、重力と量子のつながりを示すヒントになるかもしれない、いくつかのトピックについてお話しいただきました。
本題に入る前に、量子力学や相対性理論を知らない方向けの簡単な説明をしておきましょう。理科の実験をイメージしてみてください。まず、途中経過を観察しながら実験を行ったとします (図1左)。次に、全く同じ実験を、今度は途中経過が見えないようにして実験を行ったとします (図1右)。この両者の間で最終的に得られる結果が大きく変わってしまうことはありえるでしょうか?多くの方の直感では「そんなことありえない」という認識でしょう。例えば、転がるボールをじっと睨んだからといって、速度が速くなったり遅くなったりすることはまずありません。
ただし、私たちの直感は、普段よく見ている対象がどのように振る舞うかという経験に基づいています。すなわち、私たちの日常生活の縮尺から大きく外れてくると、その世界では直感に反することが「普通」になっていても不思議ではありません。先ほど例に出したボールを、原子や電子のような非常に小さいサイズまで縮めてみましょう (以後、ボールと区別して粒子と呼ぶことにします)。そこは、観測が結果に影響してしまう量子力学の世界です。粒子を観測する以前は、粒子の位置は確定しておらず、存在確率だけが広がっています。しかし、その粒子を観測した途端、粒子の位置は可能性のうちのどこか一ヶ所に定まってしまいます。このような振る舞いを示すのは、粒子の位置だけでなく、粒子のもつ物理量でも同じです。とても奇妙に思えるかもしれませんが、このように考えると、これまで数多くなされた実験の結果を矛盾なく説明できることが分かっています。
この性質を用いると、さらに不思議な状況を作り出すことができます。2 つの粒子 A と B を用意し、適切な操作で相互作用させて[1]、粒子 A の物理量と粒子 B の物理量が関係式で結びついているような状況を作っておきます。ただし、この 2 つの粒子はまだ観測されておらず、両者の物理量は確率的なままで確定していません。加えて、粒子 B は、粒子 A から遠く離れた位置にあることにしましょう。この状態で粒子 A だけを観測すると何が起こるでしょうか?もちろん粒子 A の物理量は確定しますが、それと同時に観測していない、遠く離れた位置にある粒子 B の物理量も確定してしまいます。まるで、「粒子 A を観測した」という情報が遠く離れた場所に瞬間的に伝達したかのようです。この量子力学ならではの状態を量子もつれ (エンタングルメント) [2]と呼びます。
もう少しだけ、量子力学に特有な性質を見ておきましょう。量子力学の世界には、プランク定数を用いて表される最小単位があり、一つの粒子の位置と運動量を同時に無限に精度良く決定することができません。このプランク定数のためにエネルギーといった物理量が飛び飛びの値になることも起こります。一方、私たちの身の回りにある物体の運動を記述するニュートン力学では、粒子の位置と運動量は独立な量で、同時に無限の精度で決定できることが前提となっています。それでは、量子力学とニュートン力学は、全くの別物だと考えるべきなのでしょうか?実は、量子力学の式に登場するプランク定数を \(0\) にする近似を考えると[3]、ニュートン力学の式に帰着する、という関係があります (図2)。このことから、ニュートン力学は量子力学の近似理論であり、量子力学はニュートン力学を含んでいる、と考えることができます。
それでは、別の縮尺の世界はどうなっているでしょうか?今度は、物体が移動する速さをどんどん速めてみましょう。物体の速さが、光の速さ (秒速約 30 万 km) に比べて無視できない程度になってくると、近似であるニュートン力学で運動を記述することができなくなり、特殊相対性理論が必要になります (図2)。相対論の世界では、光の速度が時間と空間 (時空) の基準となり、私たちの直感のように、時間と空間を別物として扱うことができなくなります。さらにこれを拡張して、重力の正体は物体の周りに生じた時空の歪みであるとするのが一般相対性理論です。強力な重力により光さえ吸い込んでしまうブラックホールや、宇宙の膨張 (図3) 、2015 年に初めて検出された重力波などを理解するためには、この一般相対性理論が欠かせません。
上記の量子力学と一般相対性理論を統合した理論が量子重力理論です。しかし、量子重力理論はまだ分かっていないことが多く、そもそも本当に統合できるのかさえも分かっていません。この量子重力理論の候補として、例えば超弦理論がありますが、実験的な検証はまだ行われていません。そこで、宇宙物理理論研究室では、直接量子重力理論を研究するのではなく、重力の効果を取り入れた場の量子論 (曲がった時空の場の量子論) や実験室で将来的に実験が可能ではないかと期待されている非相対論的量子重力 (図2) からアプローチすることで、重力が示す量子現象から量子重力理論を多角的に探る研究を行なっています。
重力が量子的な性質をもつかどうかをテストできる実験として注目されているのが BMV 実験 (Bose et al., 2017; Marletto & Vedral, 2017) と呼ばれる思考実験です (図5)。質量をもつ粒子を 2 つ用意し、それぞれの粒子が左側に位置するか、右側に位置するかは観測するまで確定しないような状態 (重ね合わせ状態) を考えます。粒子は質量を持っているので、その周囲には重力場 (ニュートン重力) が形成されますが、重ね合わせ状態のまま 2 つの粒子が重力相互作用を行いながら時間発展すると、それらは量子もつれ状態になることが理論的に予想されています。このことから、もしこの思考実験が正しければ、重力は量子力学に従う、すなわち、重力は量子的であると結論づけられるかもしれません。杉山さんは、この思考実験を場の量子論の観点からもっと詳細に記述できないだろうかと研究を行っているそうです (Sugiyama et al., 2022)。
内部は絶縁体でありつつ、表面は電気を通すというような、内部 (バルク) と端 (エッジ) で物質的な性質が大きく異なる、トポロジカル物質が近年注目されています。この端に沿って流れる電流に対して、ある操作をすることで、電流の通り道を迂回させて、道のりを伸ばすことができます。さらに、時間が進むにつれて、この迂回路をどんどん大回りにしていけば、電流にとってみれば、あたかも膨張する宇宙の中にいるようです (図6)。すなわち、(空間 1 次元 + 時間 1 次元の) 膨張する宇宙を実験的に模擬することができます。例えば、ド・ジッター宇宙 (膨張宇宙の解の 1 つ) を再現すれば、これまで実験的に検証できなかったホーキング放射[4]を擬似的に起こすことができるかもしれません。また、今回提案された実験方法は、量子重力理論の検証にもつながると期待されています。この成果は、東北大学の堀田 昌寛 助教と遊佐 剛 教授、名古屋大学の南部 保貞 准教授との共同研究によるものです (Hotta et al., 2022; 九州大学プレスリリース)。
重力自体が量子的な性質を示すかどうかは定かではありませんが、もしブラックホールを取り巻く粒子のエネルギーが有限の値であれば、少なくともブラックホールの面積は飛び飛びの値になっているのではないか、と予想されています。そこで上田さんらは、5 次元反ド・ジッター空間[5]上のカー・ブラックホール (自転しているブラックホール) においても、この予想が成り立つのかを調べました。私たちが暮らしている 4 次元時空 (空間 3 次元 + 時間 1 次元) ではなく、あえて 5 次元時空を考える理由は、次元が 1 つ異なる世界の間に対応関係があるという理論が知られているためです[6]。また、このブラックホールのまわりに広がったスカラー量 (スカラー場) は、どのように時間変化するのかについても議論されています[7] (図8)。この成果は、粒子系理論物理学研究室所属の古賀 ⼀成さんと理化学研究所の⼤下 翔誉 研究員との共同研究によるものです (Koga et al., 2022; 日本物理学会「学生優秀発表賞」)。
現在の宇宙には、銀河がたくさん集まっている領域もあれば、銀河がほとんどない領域もあることが知られています (図9)。宇宙がこのような構造をもつのは、できたての宇宙の頃に密度のむらがあったためだと考えられていますが、それがどのようにして生じたのかはよく分かっていません。これを説明する一つの説が、量子的な効果によって密度の揺らぎをつくりだす、というものです。このような密度のむらが生じた出来事の痕跡を探るために、近年、原始重力波を観測しようというプロジェクトが進められています。原始重力波とは、初期宇宙のインフレーションと呼ばれる急速に膨張した時期 (図3 参照) に生じた重力波のことです。この原始重力波が量子もつれの状態になっていれば、初期宇宙の密度揺らぎは量子的な効果によるものだと言えるかもしれません。上田さんは、菅野 優美 准教授らと共同で、このような観測の下準備となるような理論の研究を現在進めているそうです。
上田さん :
研究では大変なことも多いですが、色んな人と会って議論して、良いアイデアをもらったり計算をチェックしてもらったりして、難しい問題を解決していく過程はとても楽しいです。
杉山さん :
以前、我々と似たような研究を行なっていたグループに先を越されて論文を提出されたことがあり、その時は悔しい思いをしました。順序は結局、彼らの後追いになってしまったものの、我々なりの言葉で解釈して研究を行い、彼らとは少し異なる観点でおもしろい結果を得ることができたので良しとしています。これからもマイペースに自身の興味に従って研究を続けようと思います。
Note:
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