島原
大変 |
2-3: 島原大変肥後迷惑 |
第2部目次
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今から約200年前, 寛政4年(1792年) 雲仙普賢岳が噴火しました. 噴火が終わった後, 島原市街地の背後にそびえ立っている 眉山 (まゆやま)が 大きな地震とともに 大崩壊しました. 岩なだれは 島原城下の半分近くを埋め, さらには有明海に流れ込みました. そのため大津波が発生し, 対岸の肥後(熊本)を 含めて,約15,000人が 死亡するわが国最大の 火山災害となりました. |
1792年の噴火活動の推移 | |
1792年眉山大崩壊諸説 |
眉山全景
眉山は二つの溶岩ドームから成り, 左側の天狗山が1792年に 大崩壊しました. 前面の小丘群が 山体崩壊物の「流れ山」. 手前が島原市街地. |
雲仙火山における有史後の噴火地点と
眉山大崩壊位置 |
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